孔子の格言「過猶不及 (かゆうふきゅう)」

孔子の格言に可猶不及という言葉があります。

和訳は「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。

私はバランスを取るという行動が好きではありません。とことん突っ込んでいってしまうタイプですので、突き抜けてしまう事が多いです。しかし、中間管理職という役職は、中間という言葉の通り、上司も存在し、部下も存在します。よって、その間にいる中間の管理職はバランスを取らざるを得ないのです。

バランスを取るという言葉は非常に耳障りが良く聞こえます。人間関係でバランスを取るのは、誰にも嫌われない八方美人になれと言われているような気がしてなりません。

私にとって「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉は、個性を殺して組織で生きろ!と言われているような気がしてならないのです。「過猶不及 」の意味は、「なにごとも、やりすぎるのは やり足りないことと同じようによくない」という意味です。

日本人は曖昧で程々で、玉虫色の決着を好みます。海外で生活している時は常に契約ありき、答えはYESかNOのどちらかしかない。という環境に置かれていたので、日本に帰ってくる度に中間を取る「まぁまぁ」とか「ほどほど」という言葉が強く耳に残ってしまいます。

私に取っての過猶不及は自分自身を戒める為のものであって、他人から言われる言葉ではありません。

ここからは私の主観に基づいたかなり自分勝手な意見になりますが、

やり足りない事と、やり過ぎた事が同じであるわけがありません!!

私はやり過ぎてる人にやり過ぎだ!とは決して言いません!やり足りない人には、もっとやって欲しい!とハッキリ言います。やり過ぎる人間と、やらな過ぎる人間を一緒にするというのは、やり過ぎている人に大変失礼だと思えて仕方がありません。

正直、世の中はやり過ぎている人とやり足りてない人を比べたら、圧倒的にやり足りてない人の方が多いと思います。そんな中で多数決を取れば、やり足りてない人の方が正しいという事になってしまいます。

どんな時代であっても、やり過ぎている人が時代を変えていく、時代を切り開いていくのであって、やり足りていない人は時代を変えるような事が出来るハズがありません。商売の世界であっても、誰もがやっていなかったような事を、誰も早くやり過ぎた異端児が変革をもたらしてきたのです。

プラス思考とマイナス思考のバランスを取って、中間で行くという選択が私の中に存在していないのです。私はやり過ぎなくらいに熱く激しく行動する人を好み、応援し、サポートしたいと思っていますが、時間を潰してサボっているような人は応援するに値しません。出る杭を叩いて、埋まっている杭を一生懸命に引っ張り上げて同じ高さにする事は出来ないのです。

孔子はきっと、やり過ぎという部分を極端だと捉え、極端な発想を嫌うという解釈をする事が正しい翻訳なのだと思います。孔子は右に傾くのが良いのか、左に傾くのが良いのか、と問われ、どちらも良くない、右とか左ではなく、場面に適した考え方を求めたのではないか?と思っています。

以上です。

 

参考までに過猶不及の場面を描きますと

子貢が「師と商とでは、どちらのほうが優れているでしょうか。」と尋ねる。

すると先生は、「師は何事につけても度を過ぎている。商は、物足りない。」と応えた。

「それならば師のほうが優れているのでしょうか。」と子貢が尋ねると、

先生は、「度が過ぎているのも、物足りないのと同じことだ。」とおっしゃった。

と記されています。