平等なんてクソくらえ!

ついに衆議院選挙が始まりますね。10月10日公示され10月22日に開票となります。

私は豊橋市民ですので愛知15区という事になります。選挙になると、いつも口ばっかり・・・とボヤいてしまう私がいます。

選挙公約を見て、演説を聞いて、自分が一番共感した政治家に一票を投じるのが選挙なのですが、その公約が実現可能なのか?という事も大切な点だと思います。

消費税を論じる政治家が口を揃えて言う言葉は、平等という言葉です。

私は平等が大嫌いです。

格差社会というのはいつの時代でも存在していました。学生時代に歴史で習ったのは士農工商です。武士が一番位が高く、農民、職人、商人という順位でした。実際はどうかは分かりませんが、この時代から格差はありました。これは日本だけでなく海外でもあったと学びました。ヒンドゥー教ではカースト制が存在し、ブラフミン、クシャトリア、ビアイシャ、スードラと4つのカーストが存在し、カーストを超えて結婚する事が出来ないばかりか、食事を共にする事すら禁止されていました。生まれた時から身分が決められてしまっていたのです。

現代の格差社会は身分ではなく、収入の面が大きいと思います。富裕層と貧困層の収入差から来る生活レベルの違いを格差と呼んでいると思います。

 

では格差が無く、国民全員が同じだったらどうなるでしょうか?

餃子を10皿食べる人も1皿の人も支払う額は同じ。毎日遊んでいる人も、厳しい環境で仕事している人も収入が同じ。極端な話ですが、格差を無くすという事は全員が同じ生活をするという事を意味します。貧乏も金持ちもいません。貯金する人も使いまくる人も差が出てしまってはいけないのです。

私はまっぴらごめんです。

どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても報われない。結果が同じ。そんな未来が待っていたら、全くやる気が出ません。

 

私は使えるお金といった面では、学生時代のアルバイトしている頃の方が自由に使えるお金が多かったです。しかし、その頃に比べて不幸か?と問われると、自信を持ってNO!と答えられます。毎日弁当を作って、笑顔で送り出してくれる家内がいて、立派な夢を持った長男や将来有望な次男もいます。自分がどれだけ自由を奪われていても、家族の未来が明るくなるなら、どれだけでも頑張れます。

富裕層が高い料理を食べ、大きな家に住んでいたとしても、それは個人が努力したか、その親や先祖が努力した結果です。他人を羨んでどうだこうだと言う前に、自分がどうすれば近づけるのか?自分が出来なくても子供達にそうなれる道を作ってやれないか?そう考えしまいます。

だからこそ、声を大にして言いたいです。

汚い言葉を使うな!と先輩方に叱られるかもしれませんが、言わせて頂きます。

 

平等なんてクソくらえ!!

 

です。

 

平等ではなく、公平な世の中を望みます。

努力した人が報われる、結果を出した人が評価される、そんな世の中であって欲しいです。

 

働きたくても働けない人にしっかりとした対応を。

働けるのに、働かない人には、それなりの対応を望みます。

 

選挙と聞くと、何かワクワクしてしまいます。

私に出来る事は1票を投じる事だけですが、それでも国民が何を考え、何に共感し、誰を応援するのか?凄く興味があります。

以上です。