必要と思われる人になる

最近、大人の土ドラ「ウツボカズラの夢」を見ています。

何も持っていない田舎の子が東京で暮らしていく姿を見て、どこか懐かしいと思いながら毎週楽しみにしています。

必要とされなければ居場所が無いという境遇で生きる主人公に感情移入をする場面もしばしばあります。

 

昔にキンキキッズの歌で「愛されるより、愛したい、マジデ」というフレーズがある歌がありました。

皆さんどうでしょうか?

ノーベル文学章を受賞したドイツの小説家「ヘルマン・ヘッセ」は、「愛されるより、愛するほうが幸福である。」と言いました。キンキキッズのフレーズと同じですね。

しかし巷では「愛するよりも、愛される方が幸せになれる」と思っている人がいます。真逆です。

 

人間は愛されたいという欲望、願望を持っています。なので、愛されたいと願う事は自然な事なのだと思います。しかし、それは自分本位の欲求で、他人よりも先に自分の事を考えてくれという傲慢な気持ちです。

例えば、ストーカーのようになってしまった人が自分を愛してくれていたとして、果たしてそれは幸せでしょうか?相手は常に自分の事を想ってくれているのかもしれません。しかし、きっと幸福には感じず、むしろ避けるようになると思われます。

愛される方が幸福だと言いつつも、それは自分が行為を寄せている人限定の事であり、自分が興味の無い相手から愛されるのは幸福ではないと考えるというのは実に都合がよく、傲慢でわがままそのもののように感じます。

 

また、人間は不思議なもので何かをすると見返りを常に考えてしまいます。自分が愛しているだけでは満足せず、自分がこれだけ愛しているのだから、自分も愛して貰いたいと思ってしまいます。愛すれば愛する程、それに比例して愛して欲しいという感情が大きくなるのです。しかし、その愛が届かない時や、見返りが全く無い時、その愛は憎しみに変わったりするので恐ろしいです。

愛には色々な形があります。例えば地元愛、自分が生まれ育った土地を愛す気持ちがどれだけ愛しても返ってはきません。見返りもありません。しかし、地元を憎む事はありません。このような感情は主体的に愛するという感情を持つだけであり、その分に比例してこちらも愛して欲しいとか、何かを与えて欲しいという求める欲求は生まれません。

 

だから私は「愛されるより、愛した方が幸せだ」と思うようにしています。

愛す時は主体的に。見返りを求めず。

 

車を運転していても、自分が前に入れたのだから自分も入れて貰えると思わず、常に譲る気持ちで運転しています。スタッフと接する時も、これだけ手伝ったのだから、何かして欲しいとは思わず、出来る限りの事をスタッフに対応するのが当たり前と思い、当たり前の事をしただけだからと常に思うようにしています。

自分が何かしたのだから、何かして欲しいと思ってしまう欲求が自然と出てしまう事がないよう、私は「必要とされる人間になろう」と常に思っています。

あの人はこういう事をしてくれるから必要だ。と思って貰えるよう、相手が必要としている事を進んでするようにしています。

愛されるより、愛したい という気持ちで、

貰うより、与えたい。

求めるより、求められたい。

 

そういう人間になりたいと常々思っています。

 

求めるな、求めるより求められよ。求められるほうが、求める方よりもずっと幸せだと思います。人には求めず、求められるような人間になりましょう。

ただ、求められることは、決して楽なことでないです。むしろ辛いと思います。でも、人から求められることは、誇りであり、認められていることに幸せを感じること出来ると思います。

以上です。。