42歳になりました。

クレーム覚悟の個人ネタです。

先に書いておきますが、会社も関係ない自己啓発でも何でもない、仕事を超えた完全なる個人的内容です。

暇で暇で仕方がない人だけ自己責任で「続きを読む」をクリックして下さい(笑)

私はあまり厄年とか、占いとかは信じていませんでした。

ただ、ここ数年、予想しないようなこと、予想を上回る出来事が相次ぎました。

その全ては自分の考えの甘さ、自分自身の責任なのですが、事が重大だっただけに家族を思いっきり巻き込んでしまいました。

私は20代の頃は、今では絶対に出来ないと思えるくらいの勉強と努力をしました。同年代の友達がコンパだの飲み会だのをして楽しんでいる時も徹夜で会社に泊まりこみ仕事に打ち込みました。

30代になる頃には社員が100名を超える会社のオーナー社長となり、企業家としての地位を確立していました。切磋琢磨していた経営者が続々と上場するようになり、自分も続こうと焦っていた時に取引先のライブドアの経営者が起訴され、売上げは下がり、泣きっ面に蜂かのようにリーマンショックで仕事が激減しました。あと一歩という所で監査法人との契約を終了させ、上場を諦めました。

私だけの目標ではなく、社員や社員の家族も楽しみにしていた上場を諦める事は非常に辛く、立ち直るのに長い時間がかかりました。やっと気持ちが落ち着いた頃、日本経済が落ち着かなくなっていました。国政は自民党から民主党に変わり、円相場は上がり続け今のうちに海外に基盤を作るべきでは?と考え、タイで起業しました。気合いを入れて飛び込んだ海外では文化の違いや思想の違いに苦しみ、一瞬でホームシックになりました。

自分が何者なのか?を確かめたくて自分が手塩にかけて育てた会社の社長を辞任して、自分一人で会社を作りました。知識も経験も20代の頃より積んでいる自信もありましたし、何より人脈がありました。ある一定の売上げを確保した段階で売上げは頭打ちになり、一人の限界を思ったより早く知る事になりました。

この頃、40代に突入し前厄という厄年に突入しました。

前厄はお金を使うなというのを聞いてはいましたが、一人の限界を感じていた私はあれだけ痛い目を見た海外に今一度チャレンジする気持ちで一杯になっていました。そんな時、古くからの友人である社長が政府の案件でフィリピンに在住していて、実習生の可能性を説明して頂き、更に地元の後輩もフィリピン、インドネシア、ミャンマーで実習生ビジネスを確立していたので、今しかない!とフィリピンのミャンマーに拠点を作りました。

ミャンマーではタイの頃に知り合った青年に会社を起こさせ社長を任せ、私はオーナー業をする事になりました。ミャンマーの可能性に魅せられた日本の経営者へのサービスとして指定の業種の工場や企業を案内するガイド業と、その合間に現地の人に日本語を教え、日本に実習生を送り込む為の下準備を始めました。

同時進行でフィリピンに拠点を作り、フィリピン国を巻き込んだネットビジネスを始動させました。会社の蓄えも個人の蓄えも全て突っ込み、勝負を仕掛けました。

しかし、本厄となった昨年、フィリピンの大統領が変わり、仕事がふりだしに戻されました。地獄の始まりでした。夏を迎える頃には、撤退をせざるを得ない状態になっていました。最悪の誕生日を迎える事になりました。9月、10月と敗戦処理を行い、地元の友人を頼って豊橋に帰ってきました。

急転直下の厄年となってしまいました。その後、家から近くで営業マンをしようとアクティブコーポレーションに入社し、ゼロからの再出発をする事になりました。生活が一気に変わる家族への懺悔の為、家事に費やす時間を増やし、仕事でも出来る事は全部やろうと決意しました。

それから10ヶ月が経過し、42歳の誕生日を迎えました。あと4ヶ月で厄年も終了です。地に足つけて、背伸びをせず、一歩一歩着実に成長したいと思っています。

本当に厄年のせいなのか、自分の失敗を何か他の理由にして逃げようとしているのか、どちらかは分かりませんが、15年以上暮らした東京から離れ、愛知に帰ってきました。何をどうしても過去に戻る事は出来ません。現実を受け入れるしかありません。

しかし、まだまだやれる!

もっとやれるはず!

そう自分に言い聞かせています。

誕生日や年末など、何かの区切りの時は過去を振り返り、反省し、新たな目標を作るようにしています。それを文章にしておくと、また振り返って読めるので、この場を借りてしまいました。

間違ってここまで読んでしまった人は、「だから何やねん!!」と思った事でしょうが、申し訳ありません。自己責任です(笑)